La Alhambra アルハンブラ宮殿
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グラナダ市南東に連なる丘の上にそびえるアルハンブラ宮殿
アルハンブラ宮殿は、スペインのアンダルシア地方グラナダ県グラナダ市南東の丘の上に位置する。
ウマの背のような形をした丘は頂上部が長さ740m、幅205mにわたって平坦になっており、
夏場非常に暑いと言われるグラナダの中でもとても涼しい場所に位置している。
宮殿と呼ばれているが城塞の性質も備えており、その中に住宅、官庁、軍隊、厩舎、モスク、学校、浴場、墓地、
庭園といった様々な施設を備えていた。その大部分はイベリア半島最後のムスリム政権・ナスル朝の時代に建設された。
建物は白を基調としているが、「アルハンブラ」とはアラビア語で「赤い城塞」を意味する「アル=カルア・アル=ハムラー」(القلعة الحمراء al-Qal‘a al- ħamrā')と呼ばれていたものが、スペイン語において転訛したものである。この名称の由来については、城塞周辺の土地の土壌が赤いため、あるいは建築に使われた煉瓦の色であるとか、宮殿が赤い漆喰で覆われていたからなど諸説あるが、イブン・アルハティブは、アルハンブラ宮殿増築の時、夜を通してかがり火を燃やして工事したためグラナダ平野から見上げた宮殿は赤く染まって見えたことからこのように呼ばれたという説を唱え、これが一般的な説として通用している。スペイン語表記ではAlhambraと綴り、「アランブラ」と発音する。ただし、アンダルシア方言では「アルハンブラ」とも発音する。
歴史
アルハンブラは構造的には一つの城塞都市であるが、当初から全体の形が計画されていたのではない。異なる時代に建てられた様々な建築物の複合体であり、時代により、建築様式や形状などが異なっている。その前半はムーア人王朝の栄枯盛衰と共にあり、9世紀末イベリア半島南部を版図としていた後ウマイヤ朝末期の、アルカサーバと呼ばれる砦が原形であると言われている。
イスラム教徒のムーア人がグラナダの沃野「ベガ」に入植し始めたのは8世紀である。最初に栄えたのが後ウマイヤ朝であるが、このときの都はまだコルドバであり、グラナダの丘の上には軍事要塞アルカサーバだけが建てられていた。現在アルハンブラの最も西の部分である。
アルハンブラ宮殿が大きく拡張されたのは、イベリア半島最後のイスラム王国であり、グラナダを首都としたナスル朝(1238年 - 1492年)の時代に入ってからである。13世紀にはアルカサーバの拡張工事が行われている。その後も歳月と共に建物や塔が建築されていったが、大きな変貌を遂げるのは、ユースフ1世とその息子のムハンマド5世の時代である。
カトリックのレコンキスタによってグラナダが陥落するとアルハンブラ宮殿にも一部手が加わった。
スペインは、この地を1718年まで城代に管理を任せていたが、カルロス1世(カール5世)の時代に入ると、この宮殿を自らの帝国の支配の中心地にする考えを持っていたと言われており、いくつかの改築が行われている。カルロス5世の噴水や、カルロス5世の宮殿の建設が始まり(宮殿は完成することはなかった)、モスクは教会へ変えられ、礼拝堂や修道院が建築されている。
アルハンブラ宮殿は現在スペイン屈指の世界遺産であり世界中からの観光客が訪れる名所となっているが、これが元はスペインに屈服させられたイスラム教徒の宮殿であるということは象徴的な意味を持っている。
即ち、現在のスペイン国家は公式にはレコンキスタの過程で、それまでのイスラム的な文化を払拭(カトリック教会側から見れば浄化)して建てられたカトリック教国であるが、現実にはスペインをスペインたらしめる数多くの文化がイスラムにその多くを負っているということである。
スペインを訪れるイスラム教徒たちは、このアルハンブラを他の誰にも増して特別な気持ちで見るという。
彼等にとってアルハンブラはイスラム=スペイン(アル=アンダルス)の象徴であり、イスラムの支配と信仰が砕かれてもなおスペインに残った輝かしい遺産なのである。
構造物群
• カルロス5世の噴水
• 裁きの門
• ぶどう酒の門(ワイン門)
• アルカサーバ
• ナスル朝の軍事施設
• メスアール宮
o メスアールの間
o メスアールの祈祷室
o 黄金の間
o ファサード
o マチューカの中庭
• コレマス宮
o アラヤネスの中庭
水鏡
アリカタード(モザイクタイル)
o バルカの間
o 大使の間
広間の天井
アラベスク模様
漆喰細工
アラブ装飾書体
• ライオンの中庭
o ライオンの噴水
o 諸王の間
o 二姉妹の間
鍾乳石飾りの天井
o リンダラハのバルコニー
• パルタル
o 貴婦人の塔
o 庭園
o ユーフス3世の宮殿
• ヘネラリーフェ
o 果樹園
o ポロの中庭
o アセキアの中庭
o 水の階段
o ロマンティズムのバルコニー
o 糸杉の散歩道
o 下の庭園
• カルロス5世宮殿
注目すべき装飾
天井に施された彫刻は、いわゆるムカルナスと呼ばれる形式の鍾乳石飾りの天井装飾である。数種類のみの基本となるタイルを組み合わせる事によって、蜘蛛の巣状のモチーフを立体的に表現する技法になっており、イランのニーシャープールやエジプトのフスタートなど東方で発祥・発展したものがイベリア半島まで移入してきたものである。柱や壁の彫刻の中には女王が残したメッセージが隠されている。
宮殿内に敷き詰められたタイルは一枚一枚当時の職人によって作られたものである。
円、四角形、複数の線を組み合わせて造形された独特な八角形のタイルは互いにぴったりと敷き詰めることができる精巧な作りであった。
一方、柱に描かれた鮮やかなタイルアートは一枚一枚のタイルが全て異なる形、大きさになっており、違う場所にはめ込むことはできない。複数ぴったりと合わさる八角形のタイルとは正反対だ。
これらのアートは雨や水を象徴して描かれたものだ。
劣化が見られる箇所は現在修復作業が行われている。
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関連事項
クラシックギターの名手タルレガ は、この宮殿にちなんで、トレモロ奏法で有名な名曲『アルハンブラの思い出』 (Recuerdos de la Alhambra) を作曲した。
アメリカの作家ワシントン・アーヴィングは、『アルハンブラ物語』という紀行文学を物している。
宮殿内に国営ホテルパラドールがある。
ヘネラリフェ
ヘネラリフェ(スペイン語:Generalife)とは、スペイン・グラナダにあるイスラーム建築である。ムハンマド3世(1302年-1309年)の時代に建設された。ナスル朝時代の夏の別荘であった。
ヘネラリフェは、アルハンブラ宮殿の北、チノス坂をはさんだ北側の太陽の丘に位置する。別荘内のアセキアの中庭(Patio de la Acequia)は細長い池を囲むように花壇、噴水、柱廊が設けられている。アセキアの中庭は、アンダルシア地方におけるイスラーム建築において、もっとも保存の状態がものの1つである。
ヘネラリフェとアルハンブラ宮殿とはかつては、現在では両者を分ける峡谷をまたぐ歩道で結ばれていたと考えられている。
今日のヘネラリフェの姿になったのは、1931年から始まった補修作業によることが大きい。その作業は1951年に完了した。歩道は、伝統的なグラナダの様式のモザイク歩道であり、白色の石は、グラナダを流れるダーロ川から集められ、黒色の石は、グアダルキビール川の上流の支流であるGenil川から集められた。
アルバイシン
アルバイシン(スペイン語:Albaicín)とは、スペイン・グラナダにある丘陵の地区。中世ムーア人の統治時代の建築様式を残す一角である。1984年に、アルハンブラ宮殿、ヘネラリフェと合わせて、グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシンの登録名で、UNESCOの世界遺産に登録された。
アルバイシンは、ダーロ川を挟んで、アルハンブラ宮殿の西側に位置する。アルバイシンは白壁の家と石畳で構成されており、この地区には、アラブ式の浴場(ハンマーム)、グラナダ考古学博物館、モスクのあとに建設されたサン・サルバドール教会が残る。
グラナダ
グラナダ(Granada)は、スペイン南部の都市。アンダルシア州グラナダ県の県都である。
かつてはイベリア半島最後のイスラム王朝ナスル朝グラナダ王国の都であり、壮麗なアルハンブラ宮殿が有名である。シエラネバダ山脈が抱える「ベガ」と呼ばれる肥沃な平野を基盤にして栄えた。
歴史
古代
紀元前8世紀からイベリア人(もしくはケルト・イベリア人:en)が居住し、「イルトゥリル」という名で呼ばれた。タルテソス(en)の文化と関係を持ち、フェニキア人、カルタゴ人、ギリシア人と接触していた。紀元前193年にローマの支配下に入り、「イリベリス」という名前で呼ばれた。紀元5世紀からは西ゴート王国の支配下に入った。
アル=アンダルス
711年、ウマイヤ朝の指揮官ターリク・イブン=ジヤードの軍がイベリア半島に上陸し、同年にグラナダも占領された。都市の郊外には「ガルナタ」と呼ばれるユダヤ人のコミュニティーがあり、彼らはターリクによる占領を支援した。これ以降グラナダは15世紀まで約780年の間、イベリア半島のイスラム支配地アル=アンダルスの領域となる。
756年、アブド・アッラフマーン1世がコルドバを都として後ウマイヤ朝を建国した。グラナダはアンダルスの中でも重要な都市の1つとなり、「イルビラ」または「エルビラ」と呼ばれた。後ウマイヤ朝が衰えた11世紀始め、内戦のために都市が破壊されたのち、ズィール朝の一族がこの地を征服し、1013年にタイファ諸国の1つであるグラナダ王国(es)として独立した。都市は再建され、郊外の「ガルナタ」の位置(現在のアルバイシンを含む丘陵)に移動した。
グラナダは11世紀末にムラービト朝に、12世紀半ばにムワッヒド朝に征服されたが、都市は発展を続けた。1212年、ラス・ナバス・デ・トローサの戦い(en)でムワッヒド軍がキリスト教諸国連合軍に大敗してからは、アンダルスは混乱に陥り、諸都市の支配者は互いに抗争を続けた。1236年、コルドバはカスティーリャ王国のフェルナンド3世によって陥落した。
ナスル朝
1232年、アンダルスの支配者の一人、ムハンマド・イブン・ユースフ・イブン・ナスル(アル・アフマル)は王を名乗り、1238年にグラナダに王国(ナスル朝)を建国した(ムハンマド1世:en)。1246年、ムハンマドはフェルナンド3世と条約を結び、カスティーリャに臣従して貢納する代わりに、グラナダ、マラガ、アルメリアを保有することを許された。
ナスル朝グラナダ王国は、イベリア半島における最後のイスラム王朝として約250年間存続し、経済・文化が繁栄した。アルハンブラ宮殿は、ナスル朝時代に建てられたもので、イスラム建築の傑作と評価される。しかし、15世紀末にカスティーリャ王国とアラゴン王国が連合王国となると、ナスル朝支配地への征服が始まり、1492年1月2日にグラナダが降伏してナスル朝は滅亡した。

レコンキスタ後
他宗教にも寛大であったナスル朝のグラナダには、当時キリスト教世界で弾圧されていたユダヤ人も多く存在していた。しかし、レコンキスタ完了後は、キリスト教徒によるユダヤ人の虐殺が行われ(スペイン異端審問)、多くのユダヤ人がイベリア半島から去った。そうしたユダヤ人は、オスマン帝国などで保護され、経済発展を支える一勢力になる。
名所
世界遺産についての詳細は、グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシンを参照。
グラナダは壮麗なアルハンブラ宮殿で名高い。宮殿と川をはさんで向かい合う丘の上にはアルバイシンの街並みが広がる。「グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン」は、ユネスコの世界遺産に登録されている。
• アルハンブラ宮殿 - 古代からの砦の上にナスル朝初代君主のムハンマド1世が建築を始めた宮殿で、ユースフ1世の代(14世紀)に完成された。
o ヘネラリフェ(en) - アルハンブラの東のはずれに建てられた離宮で、美しい庭園がある。
o カルロス5世宮殿(en) - カルロス5世がアルハンブラ内に建てた宮殿。
• アルバイシン(en) - イスラム時代の街並みが残る地区。迷路のように入り組んだ路地に白壁の家が並ぶ。
• カテドラル(en) - モスクの跡に建設された大聖堂。
o 王室礼拝堂 - イサベル1世とフェルナンド2世の遺骸が眠る。
• カルトゥーハ修道院(en) - 16世紀から建設が始められた修道院。スペイン・バロック建築の代表の1つ。
ギャラリー
文化
毎年6月中旬から7月中旬に「グラナダ国際音楽舞踊祭」が開催される。クラシック音楽やバレエに加えて、フラメンコも上演され、一流の指揮者やオーケストラが集まる。
スポーツ
• CBグラナダ - バスケットボールクラブ
• グラナダ74CF - サッカークラブ。2007年にグラナダに本拠地移転した。
• グラナダCF - サッカークラブ。
交通
市内中心部には路線バスが多数走っており、主要な観光地へはそれに乗って行ける。
航空
市街から15km西にフェデリコ・ガルシア・ロルカ空港(es)があり、マドリードやバルセロナからの便がある。
鉄道
• マドリードからはアルタリアで約4時間半(午前1本,午後1本)、その他時間は掛かるがマドリードからAVEを利用しセビリアで乗り換えるという選択肢もある。
• バルセロナからは夜行列車トレンオテルで約11時間、運転日の少ない昼の列車で約11時間半
• バレンシアからも夜行列車トレンオテルで8時間弱、昼行列車(運転日注意)で8時間半
• セビリアからは快速列車R-598で3時間~3時間15分(1日4本)。
• アルメリアからは同じくR-598で2時間25分(1日4本)。
• マラガからはBobadilla乗り換えで2時間45分~3時間45分(1日3本)
• コルドバからはセビリア乗り換え若しくはBobadilla乗り換えで4時間30分~5時間30分(1日4本)
• アルヘシラスからは普通列車レヒオナルで4時間20分~4時間40分(1日3本)
バス
• マラガから1時間45分
• セビリア、コルドバからは約3時間
• 他にマドリード、バルセロナからの長距離バスもあり。
グラナダ出身の人物
• ウジェニー・ド・モンティジョ (フランス皇后)
• フェデリコ・ガルシーア・ロルカ(詩人・劇作家)
• マニュエル・オランテス(テニス選手)